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その作品はあくまで「物語性」にこだわり、独自の劇空間を構築し続けてきた劇作家・演出家・俳優、長塚圭史。
そして正常と狂気、日常と非日常が隣り合う世界観をリアリティに満ちた存在感で体現する俳優、伊達暁、中山祐一朗。
この3人とスタッフからなる演劇ユニット、それが阿佐ヶ谷スパイダース※1
旗揚げ公演は1996年12月。
それまで長塚が主宰していた劇団※2が解散し、劇団という形態にとらわれず少数で行う芝居をやりたいという長塚の思いから、少数のスタッフと役者で活動を開始。
結成当初は1回きりの企画のつもりだったが、初回公演が思いのほか好評を博し、2回目以降は積極的に小劇場界で活躍する役者を招き始める。
こうして毎公演実力のある役者を集め、意外なユニットで話題を呼ぶプロデュース形式の公演スタイルが定着。
1998年から活動を本格化し、2001年より積極的に地方公演を展開。
2004年4月の『はたらくおとこ』※3では、全国九都市で14,800人(東京、名古屋、大阪、福岡、広島、松山、新潟、仙台、盛岡)の動員を記録した。
「時代は変わっても物語だけは普遍である」という長塚の信念のもと、笑いやパフォーマンスのみによらない、あくまでも物語性にこだわった作風で一貫。
親子関係や恋愛感情といった等身大の人間関係を、現実世界と虚構世界の中間ほどの世界で描く。
時代と真正面から向き合い、作品を生み出そうという姿勢が、常に変化を遂げていく“進行形”の世界観を作り出し、演劇界を席巻。
多方面からの注目を集めている。

※1「阿佐ヶ谷スパイダース」というユニット名の由来は、結成の際に集まった音響スタッフの家が阿佐ヶ谷にあったこと。
そして、その音響スタッフと長塚が当時はまっていたのがGSのスパイダースだったこと。
1回きりの公演だというつもりであまり深く考えずに、この2つをつなげて「阿佐ヶ谷スパイダース」と命名、現在に至る。
※2長塚が大学時代に主宰していた劇団「笑うバラ」。
1994年9月〜1996年5月までで6回の公演を行なった後、解散。
※3この作品の作・演出とパルコプロデュース『ピローマン』での演出が高く評価され、長塚は第55回芸術選奨文部科学大臣新人賞と第4回朝日舞台芸術賞を受賞。

2004年『はたらくおとこ』
本多劇場 撮影:HARU




2005年『悪魔の唄』
本多劇場 撮影:HARU
阿佐ヶ谷スパイダースについて
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